【円陣インタビュー】「お祭りオタク、安芸津が第二の故郷となる」 ー見つけた!民俗芸能を未来へ繋ぐ“仕掛け”ー

-28-1024x683.jpg)
【なぜ“お祭り”なのか】
愛知県奥三河の「花祭」の担い手の家に生まれ、生後3ヶ月からお祭りの熱気の中で育った片桐さん。しかし、15歳の時にコロナ禍でお祭りが一斉に休止。「見える世界全てがモノクロになった」というほどの喪失感を味わい、気が付けば地域の人々も同じ状況。お祭りの大切さが心底、身に沁みたのです。


【三津祇園祭との出逢い】

広島大学進学後、彼女は「自分の武器はお祭りだ」という事実に気づき、「何か面白いことがやりたい」と模索していました。そんなタイミングで偶然出会ったのが、三津祇園祭。特別な思い入れがあったわけではありませんでした。
当時、片桐さんは「円陣」第一期にサポーターとして関わり、旅のクエストを考えていました。
ところが実際、三津祇園祭保存会の方々に会ったところ、話はどんどん変わっていきます。
「女の子だけでもいい」
「事前練習のために、道具をもって広島大学まで行くよ!」
保存会の方々の切なる想いが伝わってきます。それほど三津祇園祭は人が集まらず、開催自体が危うい状態になっていたのです。それに触れた彼女は、
と決心します。それは保存会の方々が、とても温かかったからでもありました。
【三津祇園祭での試練】
いざ活動を始めると、2つの壁が立ちはだかります。それは「低すぎる地域の解像度」と「アナログの壁」です。
② 住んでいる西条と安芸津は15キロほど離れており、移動手段はバスか車しかない。にもかかわらず保存会の方々は70歳以上で、ほとんどの人が携帯電話を持っていない。
片桐さんは免許取り立てで、車の運転もままならない状態。この壁を乗り越えるために、片桐さんがとった行動はとても真摯でエネルギーのいる方法でした。とにかく安芸津に通い詰め、何度も何度も電話をかける。それを重ねることにより壁を乗り越え、また知らず知らずのうちに、安芸津が彼女の「第二の故郷」になっていったのです。

【お祭りの参加人数を80人を120人に増やした“仕掛け”】
片桐さんは三津祇園祭において、自身のお祭りコンサルティングの核となる以下の二つのプログラムをを考案し実行に移しました。
お祭りを現代的なデザインやキャッチコピーで再構築し、SNS広告なども活用しながら集客までをワンストップで支援
完全に観光客の方でも担い手、地域の一員としてお祭りに参加できるディープな体験型プログラム
この結果、高齢少子化で約80人にまで減少していた大名行列の担い手が、120人にまで回復するという劇的な成果を上げたのです。これが後々民俗芸能を保存、発展させる具体的な方法の指針となり、自信にもつながりました。




【三津祇園祭で得た宝物】
しかし、彼女にとっての宝物は数字ではありませんでした。彼女は祭りの当日、沿道でお祭りを喜ぶおばあちゃんが涙を流している姿を目の当たりにします。
「やってよかった!」
安芸津での経験を通じて、「おじいちゃんちが、もう一つ増えた」と感じるほどの温かい絆が出来上がっていたのです。


【三津祇園祭への思い】
最初に会った片桐さんは、お祭り好きの普通の女子大生でした 。三津祇園祭に触れて、どんどん変わっていった片桐さん に尋ねてみました 。
「三津祇園祭は、片桐さんにとって転機、”お祭り”を生業にしていく最初のきっかけになったのでしょうか?」
「本当にそうです. 三津祇園祭は私にとってめちゃくちゃ特別です。とても素晴らしいお祭りで、お祭りの色々な可能性を教えてもらいました。少し工夫すれば祭りの素晴らしさはそのままに、人に知ってもらえる仕掛けを作れる!と気づかされました。
また地域の方々が正直で、ダメなこと嫌なことをはっきり言ってくださる。作っていく過程で「違う!」と怒ったりもするのです。最初から、お互い思っていることをありのままに対話することが出来たからこそ、すごく良いものができたと思っています。これは誇りを持ってないとできないことだと思うのです。」
この言葉から、三津祇園祭が人生の分岐点となったこと、彼女とお祭り保存会と地域の方々との熱い心の交流を感じました。

【民俗芸能を日本のポップカルチャーへ】
片桐さんは、民俗芸能を「保存」するだけでなく、今の時代に合ったかたちで「進化」させることを目指しています。2025年4月、彼女は「とらでぃっしゅ株式会社」を設立しました。彼女の視線の先には、常に「人」がいます。
地域の人々にとってプラスになっているのか?を常に考え、自分の「ときめき」に嘘をつかず、熱き思いで常識をぶち壊す(Break the Bias)。彼女は今日も祭りの現場で走り続けています。
【円陣で見つけた、“一生の財産”】
-249-1024x683.jpg)
「これまでお世話になってきた原点でもある東広島市とミライノ⁺に恩返しがしたいと思い、円陣プレイヤーに応募しました!」
そんな思いから、片桐さんの円陣プレイヤーとしての挑戦が始まりました。最後に、円陣での経験について聞くと、少し考えたあと、こんな言葉が返ってきました。
その言葉には、円陣で過ごした時間の重みと、これからも挑戦を続けていこうとする強い意志が込められているように感じました。

